せらに

2021/07/26キャバ嬢を辞めてニートになりました!快適!意味のない文章をつらつらと書きます。

職業訓練校の選考へ行ってみた

 

数年ぶりのブログ更新だが相変わらずニートをしている。

 

この間ふと職業訓練校という選択を思い立ち人生初のハローワークへ行った。

エクセルやワードといった操作はできないし、まともなスピードでキーボード入力することすらできないがプログラミングに興味をもったので、話だけでも聞きに行ってみようと軽い気持ちで向かった。

担当の方があれよあれよと話を進めてくれ、日付けを指定されハロワに通っていくうちに気が付けば学校の見学に行って気が付けば選考で面接の日になっていた。

 

スーツはズボンをユニクロ、ジャケットとブラウスとパンプスをGUで購入。筆記試験があると思いわりと真面目に数学を勉強していたのだが、指定された時間に会場へ着くと面接のみでものの10分程度で終了した。

面接が終わってから面接官の方に「ジャケットの仕付け糸ついてるから取った方がいいよ」と指摘されてしまう社会知らず丸出しのニートワイ。

 

人と3時間後に会う予定を立てていたのでウインドウショッピングでもして時間を潰して待っていようと思っていたのだが、気分が落ち込み過ぎてどうしようもなく家に帰りたくなったので一旦帰宅した。

こんなに人で溢れかえっている都心で一人孤独に仕付け糸がついたまま3時間もブラブラする気力はもうなかった。元気0の状態である。

 

帰宅後は自宅の玄関に座り込んだまましばらく動けなかった。面接官ははなからニートにそんな期待をしていないのは頭ではわかっていたのだが、面接で色々とやらかしたのが恥ずかしくてここ最近で一番落ち込んだ。気軽に申し込んだのだから選考が通ったらラッキーくらいの気持ちでいたはずなのだが、、

 

選考発表の用紙は今日発送されるようだ。

面接はボロボロだったが、苦手な筆記試験はなかったし無事面接も終わったので今はとても開放的な気分である。めちゃくちゃ勉強して面接練習したわけじゃないが、心の中に「やらなきゃ」という気持ちが常にあるのは結構ストレスだった。

 

数学を学びなおしてみて勉強し理解する楽しさをこの期間で知ったので、選考は終わったけれどこれからも勉強は続けようと思う。

もし選ばれなかったとしても一歩踏み出すという経験ができたので突然の思い付きではあったが、チャレンジしたこと自体は決して無駄ではなかったと思う。

 

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背中を押されまくって買った本

今日はインターホンの音で目が覚めた。クロネコヤマトの人だった。ヤマトはカメラ越しでも分かりやすくNHKの下請けやセールスでないことがわかりやすいので良い。

昨日寝る前にキムチを食べたので口臭が気になったがとりあえず出ることにした。

口を開けたが故の悪臭拡散を阻止せねばと思い「ありがとうございます」とは言わずに深めのお辞儀をしたのが悪かったのか、変な間が生じてしまい配達員さんと暫く見つめ合ってしまった。

 

届いたものは友人にお薦めされ「絶対読んで!」と半ば強制的に買わされたに近い村上龍5分後の世界という本だ。友人にとって人生で一番好きな本らしかった。内容は?と聞くと「戦争」とだけ返ってきた。どうやらあまり説明する気は無さそうだ。

あまり興味を惹かれなかったのでレビューを見てみた。どうやらこの本を読むにあたってルールが存在するようだ。それはとにかく一気読みすること。読み終えるとその理由がわかると書いてあったので少し興味が湧いてきた。

 

気難しい話しで途中断念したらなんと友人に伝えるべきかなどと考えつつ今から読もうと思う。想像より大きく厚めの本で一気読みというルールに多少ひよっている。

 

今日は珍しく雪が積もり白銀世界なのでなんだか良い。雪が更に積もって帰れなくなると困るので早退して大丈夫ですよと言われスキップしながら帰宅してきた感覚だ。

 

 

せらに

 

 


人生の色

「あなたの人生を色で例えるなら何色ですか?」

もしそういう質問をされた場合、何と答えるだろうか。私は「薄いほんのり灰色」と答えると思う。

黒と答えるほど酷く壮絶な境遇で生きてきた気はしないし、黄色やピンクや水色などといった華やかな人生でもない気がするからだ。

 

私は幼い頃からよく「存在感ない」「いてもいなくても一緒」と兄姉や同級生に言われていたし、自分でもそう思っていた。

キャバクラで働いていた時も担当のボーイから「悪い印象は与えないけど記憶に残らない」「クレームがなく無害で使いやすい」と皮肉られてしまうほど平凡で取り柄のない人間であった。

 

存在しないのと同じなら無色透明なのではないかとも思ったが、そんなに綺麗に透き通った存在でもない。何となく嫌な感情だけが、薄っすらとした灰色だけがぼやっと存在している人生のような気がする。

ここでは黒=暗く嫌な人生という表現をしてしまったが、私は黒が一番好きな色なので黒が特別嫌な色だとは思わない。好き嫌いは別だと考えている。

 

このように暇人ニートの考え事はいつも暗い方へ暗い方へと向かいがちだ。

最近好きになった作家の恒川光太郎や森見登美、それと友達に絶対読め!と念を押された村上龍の小説を購入したので本を読んで少し現実逃避したいと思う。

 

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せらに

 

 


 

努力ができない

少し前にAbemaTVでエンリケさんが柏のキャバ嬢をプロデュースする企画を見た。

エンリケさんとは名古屋の有名な元キャバ嬢のことである。

 

柏のキャバ嬢のゆいちゃんという子は内気でリアクションが薄く、マナーもあまり知らず、自分の殻が破れていないような子でその感じが私にそっくりだった。

一番はどんだけ尻を叩かれても努力出来ないところ。私も全く同じだ。まるで自分を鏡越しに眺めているようだった。

 

「人は本当に好きなこと、やりたいことじゃないとその道のプロにはなれないから、好きなことをした方がいい。もしどうしても好きなことができないなら、今やっていることを好きになる努力をした方がいい。」と、銀座ヴェリテクリニック理事長の福田慶三さんが言っていた。

私はやりたいと思って始めたことでも結局疲れる、面倒くさいという感情が勝ってしまう。しまいには好きになる努力さえできないどうしようもない人間だ。

 

私たちのような内向的なタイプは基本一人が好きだと思う。

なのにわざわざ早く起きておじさんに時間を使わないとキャバ嬢は同伴ができない。同伴の約束をとりつけるために「○日空いてる?」と自分で自分の時間を差し出すのはそうとうなストレスになる。

お客さんから「○日空いてる?」なんて言われる度に頭の中は闇に覆われ支配されてしまう。同伴が決まっても純粋に喜べない。これは私自身がキャバで数年働いて実感したことだ。

 

柏のゆいちゃんは「売れたい!」という思いよりも「自分の時間がほしい」という思いの方が強いのではなかろうか。この二つは短期的に見ると正反対だ。なのでいくら周りからアドバイスをしてもらっても、売れっ子への道を無意識に遠ざけてしまう。

願望とは逆の努力なんて人に言われたくらいで出来るようにはならないだろう。

 

キャバクラは時として楽しくもあり、たまにまた働きたくなることもある。だが10のうち1しか実際楽しいことはない。殆どがつらく面倒でストレスの溜まることで占めている。働くとはそういう事だろう。

本当に努力できる人、トップに立てる人だけが見える楽しさがあるのだろうなと下から見上げつつ思う自分がいる。

 

 

 


ニートが思う労働する動物たち

 

私は現在ニートで毎日をゲームをするか、映画を見るかYouTubeを見るかというだけの自堕落な生活をしている。

そうすると時々、日々労働している猫カフェの猫や警察犬、盲導犬、動物園等の動物たちは私よりも社会に貢献していて偉い…というより、凄いなということを考える。

 

猫カフェの猫は何もしてないじゃないか!と思う人もいるかもしれない。だが、死ぬまで毎日自分のパーソナルスペースに知らない人間がズカズカと土足で入ってくるのだ。

常に見られる・触られる・猫に喧嘩を売られるなどという日々が果てしなく続くということは、ニートが同じ目にあったら気が狂うレベルで精神的苦痛を感じるに違いない。他の猫に気を使って神経を擦り減らすこともあるだろう。

 

そういう動物たちはなんとサラリーマンと同様に週5で働くのが基本で、中には年中無休で人間相手に労働をしている猛者もいる。なんと凄いことであろうか。

わたしは労働しておらず、一人暮らしなのでパーソナルスペースを乱されることもない。

今年の夏まで働いていた貯金があるから今は働かずにニートをしていられるのだが、このように生まれてからずっと働いている動物たちを尊敬せずにはいられない。

 

私にとって労働は苦痛でしかないが、私の友達は労働してないと退屈だと言うように動物たちにもそれぞれ性格があるだろう。人見知りで面倒臭がりの動物もいるだろう。

その子たちはちゃんと幸せなのだろうか、人間に無理矢理働かせられていると感じ嫌になることはないのだろうかと心配になる。だが私にできることは何もないという結果に辿り着き、大体いつもそこで考えるのを辞める。

 

動物も人間も本当に自分が望んだように、好きなように生きるというのはなかなかできない。ニートの私でさえ好きでニートをしているのか最近わからなくなってきた。毎日同じことの繰り返しで楽しいという感情もなくできれば早死にしたいと思っている。

 

また働き始めたら「ニートの頃は良かった」と思うだろうと自分でわかっている。それなのにたまに働いていた時の楽しかった出来事を思い出し、また働こうかな?と悩む日が度々訪れる。ないものねだりは今そこにある幸せという存在を霞ませ気付きにくくさせる。

 

もしかしたら働く猫さん犬さんたちは日々小さな幸せを見つけてなんだかんだ楽しく生活しているのかもしれない。

この先の不安もあるが今はないものねだりせず、自分はちゃんと幸せなのだということに気づくことから始めようと思う。

 

 

 


 

 

波にさらわれたニートブログ

本当になにもしてなくて全然キラキラしてないニートのブログを読むのが好きだ。テンション低めの文章だと尚好きだ。

 

数ヶ月前に見つけたいい感じのニートブログはブックマークするのを忘れてしまってもう辿り着けない。

私がニートブログを始めたのはそのブログがきっかけだった。

 

普段だったら秒で忘れるような小さな出来事をその人はブログに書いていた。ブログに書かないと絶対すぐ忘れるようなことばかり書いた日常だったが、読むと何故だか癒されたのだ。

それとたまに外出した日の記事に「買い物中に知らないおばさんがこんなことを言ってきた」的な半引きこもりニートにとっての非日常的なプチイベント記事が面白かった。

 

そのブログはかなりドマイナーだったのでネットの波に飲み込まれてしまった今、もう二度とお目にかかれない気がしている。

 

 

 

さいはての彼女

さいはての彼女という本を読んだ。

短編集で4話あるうちのまだ1話しか読んでいないけど。

 

バイクっていいなと思った。私は中型二輪を19歳の時に取ったがタンデム以外では多分もう二度と乗ることはないだろう。

 

私はこの本みたいに、素性の知らない同性となりゆきで仲良くなるという話が好きだ。名前を知らなかったり、連絡先を知らなくて二度と再会できなそうな儚い出会いが好きだ。

 

漫画の「ワールドオブゲイズクリップス」は全巻買った。

18歳で命を絶った著者の「トランストランスフォーエバー」という遺稿集では図書館で知り合う女子中学生のアオイとミチルの話が好きだ。

映画では「空(カラ)の味」「めがみさま」「少女邂逅」が今思い出せる範囲のもので当てはまる。

 

邦画と洋画を半々くらい、もしくは邦画よりも洋画の方が多く観ているのだが、洋画ではこのアンニュイで儚げな感じのものを未だかつて発見できたことがない。

 

多分現実でこんな事が起きたら楽しいんだろうなと夢見ているからこういうストーリーが好きなんだと思う。

 

夢見ていると書いたが、実体験が一つある。

18歳の頃私は社員寮に住んでいた。私の部屋の真下には占い師の館が入っていた。

仕事を辞めたいと悩んでいた私は休みの日にその占いの館へ予約なしでいきなり部屋へ突撃したことがある。今考えたらちゃんと予約して行けよと思うが。

入ると床にくしゃくしゃのハンカチが落ちていた。

 

帰り際に占い師さんに貰ったパンフレットをエレベーターの中で見た。パンフレットには“この占いを受けた方々から良い事が起きたというお声を沢山頂いております“というような、なにやら胡散臭いメッセージが書いてあったような記憶がぼんやりと残っている。

 

一階まで降りると、目の前に女性が立っていた。

エレベーターから降りると同時に「あの…そこの占い行ってきたんですか?」と声をかけられた。年齢は30歳くらいだったと思うが、記憶が定かではない。なんせ10年前の話だ。

 

その女性は「ハンカチ見てませんか?…あ、やっぱり落ちてたんですね〜!」と笑った。

では、とその場をあとにしようとしたら「この後時間ありますか?急いで取ってくるので、ここで待っててもらって良いですか!?」と聞かれたので時間ありますよと返した。

 

女性が戻ってくるのをエレベーター前で待っていたがこの後どうするんだろうとポカンとしていた。

今の私なら何かの勧誘だと勘繰るところだが、田舎からやって来たばかりの18歳の私は全く何も考えていなかった。

 

女性が降りて来て「マンションの向かいにあるモス行こうよ!」と言われ、まったく面識のない女性と2人でモスバーガーへ入った。

結果その女性は怪しい勧誘や壺を売る人ではなかった。ただの占い大好きマンだった。

「御堂筋にある〇〇ってところ当たるよ!気が向いたら行ってみて」「あとココも!ココも良いよ!」とオススメの館を沢山教えてもらった。

 

さっき行った占い師の話しで笑いながらハンバーガーを食べた。支払いをしようとしたら阻止され、誘ったのは私だからと奢ってくれた。

「じゃ、帰って家のことしなきゃだから!今日はありがとうね〜!」

またねーというような感じで手を振りながら笑顔で女性は去っていた。

 

わたしはモス入り口の前に立ち、時折り振り向いて手を振る女性を見送っていた。

名前も連絡先も知らない、もう会うことのない人との儚い出会いを知った日だった。

 

 

この時から私は、小説や映画などの作品に恋愛ではないさっぱりとした偶然的な出会いのストーリーを求めだしたのではないかと、今書いていてふと思った。

 

 

私はキャバクラで働いていたから、毎日が一期一会ではあった。

だが街中でふと偶然起こるこの様な一期一会はまた別枠な気がする。

あれから10年経ち今は都内に住んでいるが、あの時みたいに街中で同性に声をかけられたことは一度もない。

 

私のような受け身の人間は自分で自分の人生をつまらなくしているのだろう。

最近は外に出ることも少なくなってきた引きこもりニートなので、トランストランスフォーエバーを思い出して図書館にでも行こうかなと思う。

 

 

ちなみにあの女性がオススメしてくれた御堂筋にある占い師の館は検索しても、現地で探しまわっても見つからず行けないでいる。

 

 

占いの館のパンフレットに書いてあった“良い事が起こる“は間違いではなかったなとその日帰ってぼんやり考えていたのはハッキリ覚えている。