ニートが思う労働する動物たち
私は現在ニートで毎日をゲームをするか、映画を見るかYouTubeを見るかというだけの自堕落な生活をしている。
そうすると時々、日々労働している猫カフェの猫や警察犬、盲導犬、動物園等の動物たちは私よりも社会に貢献していて偉い…というより、凄いなということを考える。
猫カフェの猫は何もしてないじゃないか!と思う人もいるかもしれない。だが、死ぬまで毎日自分のパーソナルスペースに知らない人間がズカズカと土足で入ってくるのだ。
常に見られる・触られる・猫に喧嘩を売られるなどという日々が果てしなく続くということは、ニートが同じ目にあったら気が狂うレベルで精神的苦痛を感じるに違いない。他の猫に気を使って神経を擦り減らすこともあるだろう。
そういう動物たちはなんとサラリーマンと同様に週5で働くのが基本で、中には年中無休で人間相手に労働をしている猛者もいる。なんと凄いことであろうか。
わたしは労働しておらず、一人暮らしなのでパーソナルスペースを乱されることもない。
今年の夏まで働いていた貯金があるから今は働かずにニートをしていられるのだが、このように生まれてからずっと働いている動物たちを尊敬せずにはいられない。
私にとって労働は苦痛でしかないが、私の友達は労働してないと退屈だと言うように動物たちにもそれぞれ性格があるだろう。人見知りで面倒臭がりの動物もいるだろう。
その子たちはちゃんと幸せなのだろうか、人間に無理矢理働かせられていると感じ嫌になることはないのだろうかと心配になる。だが私にできることは何もないという結果に辿り着き、大体いつもそこで考えるのを辞める。
動物も人間も本当に自分が望んだように、好きなように生きるというのはなかなかできない。ニートの私でさえ好きでニートをしているのか最近わからなくなってきた。毎日同じことの繰り返しで楽しいという感情もなくできれば早死にしたいと思っている。
また働き始めたら「ニートの頃は良かった」と思うだろうと自分でわかっている。それなのにたまに働いていた時の楽しかった出来事を思い出し、また働こうかな?と悩む日が度々訪れる。ないものねだりは今そこにある幸せという存在を霞ませ気付きにくくさせる。
もしかしたら働く猫さん犬さんたちは日々小さな幸せを見つけてなんだかんだ楽しく生活しているのかもしれない。
この先の不安もあるが今はないものねだりせず、自分はちゃんと幸せなのだということに気づくことから始めようと思う。