さいはての彼女という本を読んだ。
短編集で4話あるうちのまだ1話しか読んでいないけど。
バイクっていいなと思った。私は中型二輪を19歳の時に取ったがタンデム以外では多分もう二度と乗ることはないだろう。
私はこの本みたいに、素性の知らない同性となりゆきで仲良くなるという話が好きだ。名前を知らなかったり、連絡先を知らなくて二度と再会できなそうな儚い出会いが好きだ。
漫画の「ワールドオブゲイズクリップス」は全巻買った。
18歳で命を絶った著者の「トランストランスフォーエバー」という遺稿集では図書館で知り合う女子中学生のアオイとミチルの話が好きだ。
映画では「空(カラ)の味」「めがみさま」「少女邂逅」が今思い出せる範囲のもので当てはまる。
邦画と洋画を半々くらい、もしくは邦画よりも洋画の方が多く観ているのだが、洋画ではこのアンニュイで儚げな感じのものを未だかつて発見できたことがない。
多分現実でこんな事が起きたら楽しいんだろうなと夢見ているからこういうストーリーが好きなんだと思う。
夢見ていると書いたが、実体験が一つある。
18歳の頃私は社員寮に住んでいた。私の部屋の真下には占い師の館が入っていた。
仕事を辞めたいと悩んでいた私は休みの日にその占いの館へ予約なしでいきなり部屋へ突撃したことがある。今考えたらちゃんと予約して行けよと思うが。
入ると床にくしゃくしゃのハンカチが落ちていた。
帰り際に占い師さんに貰ったパンフレットをエレベーターの中で見た。パンフレットには“この占いを受けた方々から良い事が起きたというお声を沢山頂いております“というような、なにやら胡散臭いメッセージが書いてあったような記憶がぼんやりと残っている。
一階まで降りると、目の前に女性が立っていた。
エレベーターから降りると同時に「あの…そこの占い行ってきたんですか?」と声をかけられた。年齢は30歳くらいだったと思うが、記憶が定かではない。なんせ10年前の話だ。
その女性は「ハンカチ見てませんか?…あ、やっぱり落ちてたんですね〜!」と笑った。
では、とその場をあとにしようとしたら「この後時間ありますか?急いで取ってくるので、ここで待っててもらって良いですか!?」と聞かれたので時間ありますよと返した。
女性が戻ってくるのをエレベーター前で待っていたがこの後どうするんだろうとポカンとしていた。
今の私なら何かの勧誘だと勘繰るところだが、田舎からやって来たばかりの18歳の私は全く何も考えていなかった。
女性が降りて来て「マンションの向かいにあるモス行こうよ!」と言われ、まったく面識のない女性と2人でモスバーガーへ入った。
結果その女性は怪しい勧誘や壺を売る人ではなかった。ただの占い大好きマンだった。
「御堂筋にある〇〇ってところ当たるよ!気が向いたら行ってみて」「あとココも!ココも良いよ!」とオススメの館を沢山教えてもらった。
さっき行った占い師の話しで笑いながらハンバーガーを食べた。支払いをしようとしたら阻止され、誘ったのは私だからと奢ってくれた。
「じゃ、帰って家のことしなきゃだから!今日はありがとうね〜!」
またねーというような感じで手を振りながら笑顔で女性は去っていた。
わたしはモス入り口の前に立ち、時折り振り向いて手を振る女性を見送っていた。
名前も連絡先も知らない、もう会うことのない人との儚い出会いを知った日だった。
この時から私は、小説や映画などの作品に恋愛ではないさっぱりとした偶然的な出会いのストーリーを求めだしたのではないかと、今書いていてふと思った。
私はキャバクラで働いていたから、毎日が一期一会ではあった。
だが街中でふと偶然起こるこの様な一期一会はまた別枠な気がする。
あれから10年経ち今は都内に住んでいるが、あの時みたいに街中で同性に声をかけられたことは一度もない。
私のような受け身の人間は自分で自分の人生をつまらなくしているのだろう。
最近は外に出ることも少なくなってきた引きこもりニートなので、トランストランスフォーエバーを思い出して図書館にでも行こうかなと思う。
ちなみにあの女性がオススメしてくれた御堂筋にある占い師の館は検索しても、現地で探しまわっても見つからず行けないでいる。
占いの館のパンフレットに書いてあった“良い事が起こる“は間違いではなかったなとその日帰ってぼんやり考えていたのはハッキリ覚えている。